イセキチだってつれづれ語りたい

無駄に多趣味で広く浅い知識しか持ち合わせないアラサー男が、気になったことを思いのままにつらつら語ります。たまにいいこと言いたがりなのはご愛嬌★

英雄と犯罪者は紙一重

どもども!

 

 

いきなりですがみなさん!

 

2018年の新しい大河ドラマ「西郷どん」はもうご覧になりましたか?

 

まだ西郷の幼少期なので、鈴木亮平さんはあまり登場しませんでしたが、

島津斉彬を演じる渡辺健さんがカッコよすぎて痺れました!!

 

やはり1流の役者の演技はプライベートのいざこざなんて吹っ飛ばしてしまいますね!

 

さて、今日はそんな「西郷どん」こと西郷隆盛のお話

 

http://toyokeizai.net/articles/-/202622

2018年01月07日
武田 鏡村 : 歴史家

今晩20時からNHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」がスタートする。主人公の西郷隆盛といえば、歴史小説・ドラマなどでも数多く取り上げられてきた薩摩(鹿児島県)の大英雄である。鈴木亮平が西郷を演じる今回のドラマでは「愛に溢れたリーダー」として描かれるという。
しかし、西郷の実際の行跡をたどっていくと、「愛」とは真逆の冷酷非情な人物像が浮かび上がってくる。『薩長史観の正体』を刊行した武田鏡村氏に、知られざる「西郷どん」の実像について解説していただいた。
「最大の功労者」と「悲劇のヒーロー」の両面

西郷隆盛は「薩長同盟」を結んで維新回天を行い、江戸城無血開城した明治維新の最大の功労者として「大西郷(だいさいごう)」「大南洲(だいなんしゅう・隆盛の号)」とも呼ばれ、最高の尊敬を集めている。

しかも、明治政府に反逆した西南戦争に担ぎ上げられた総大将で、敗北して自決に至ったにもかかわらず、悲劇的なヒーローとして国民的な人気を集めている。

明治維新の偉業と明治新政府への反逆という矛盾した行動をとった西郷の人気は、実は数々の暴虐や策謀の末に成立した明治新政府への国民の無言の反感によって成り立っているといってよいだろう。いわゆる「判官びいき」である。

明治新政府がつくり上げた「薩長史観」(参考:なぜいま、反「薩長史観」本がブームなのか)では、当然のことながらこのあたりについての評価を下すことなく、西郷を単に傑出した偉人と見なすことで、明治維新で行った数々の不行跡を隠蔽しているように思える。

そればかりか、幕臣であった勝海舟が「おれは今まで天下に恐ろしいものを二人見た。それは横井小楠(しょうなん)と西郷南洲だ」と、熊本藩士で改革を推進した横井と共に讃えていることを引き合いに出して、幕府の重臣からも認められた人物として西郷を評価する。

あるいは、坂本龍馬が「少しくたたけば少しく響き、大きくたたけば大きく響く」と西郷の人物の大きさを語っていることを引き合いに出して、人並みはずれた包容力があったと賛美している。

だが、勝海舟の場合は、西郷と会見して江戸城無血開城させて江戸を戦火から救ったことから、西郷の度量の大きさを讃えることで自分の業績を誇示したといえる。

坂本龍馬の場合は、西郷は周囲の影響によってしか「響かない」という主体性のない人物であったことを正確にとらえている。事実、西南戦争でも煮え切らない態度を取って、懇願された末に、ようやく総大将についたという経緯がある。

果たして西郷隆盛は本当に傑出した人物であったのであろうか。

僧侶を「殺害」してしまった過去

「私事、土中の死骨にて忍ぶべからざる儀を忍びまかりあり候次第……、天地に恥ずかしき儀の御座候えども、今更になりて候ては、皇国の為にしばらく生をむさぼり居り候」(私は一旦死んだ人間であり、土の中の死骨に等しく、その恥を忍んでいる身であるが、しばらくは皇国のために命を長らえている)(長岡監物宛の西郷隆盛の書簡)

西郷は、幕府の追っ手から逃れてきた京都清水寺の月照(げっしょう)という僧侶と入水自殺を図って自分が生き残り、結果として月照を殺した。先の書簡は、生き残った西郷の悔恨の告白である。

安政5(1858)年11月15日夜半、西郷は月照と鹿児島の錦江湾で入水を図った。月照46歳、西郷が32歳のときである。薩摩藩は月照を殺せと命じていたが、西郷は殺すのは忍びないと、月照と合意して入水したとされている。

だが、維新後に西郷の述懐を聞いた人の話が、『南洲翁逸話』(鹿児島県教育会編)に載っている。

「自分が最も遺憾に思うのは、僧月照の身の上だ。月照が舟の舳先に出て小便をしているところを、後ろから自分が抱き込んで飛び込んだところ、月照のみは死し、自分が生き残ったのは、至極遺憾なわけである」

これによれば、入水は合意ではなく西郷による無理心中で、西郷が生き残ったのであるから、殺人を犯したと見ることもできる。

事件後、奄美大島に流された西郷は、そこで出会った少壮学者で、のちに東大の教授となる重野安繹(やすつぐ)に対しては、次のように語っている。
(リンク先に続きあり)

segodon

 

ちなみに西郷が語ったことがこちら↴

「さてさて残念な事をした。和尚(おしょう)独り死なして自分独り死に損ない、活きて居るのは残念至極だ。士の剣戟を用いずして身を投げるなどということは、女子のしそうなことで、誠に天下の人に対しても言い分がない。ただ和尚は法体のことであれば、剣戟を用いずして死んだ方が宜(よ)かろうという考えで投身したけれども、寧(むし)ろ死するならば、女子のなすようなまねをして自分独り活き残って面目次第もないと、歯咬(か)みなし涙を流して拙者に話した」(『重野安繹演説筆記』)

 

西郷が奄美に流される原因になった有名な事件ですね。

 

しかし、結局のところ英雄なんて呼ばれる人間は、大なり小なり人を殺してたりするんですわ。

 

 

かのチャップリン

「一人殺せば殺人者で百万人殺せば英雄となる」

という言葉を残すぐらい、

戦時のときは人の命の価値が軽くなって、それどころか功績として称えられるわけですから、人の価値観というのは恐ろしいものです。

 

 

日本史の中で、残虐非道で有名なのは

延暦寺焼き討ちや、長島一向一揆での虐殺を行った織田信長ですが、

当時、「根切り」といわれる虐殺行為は遺恨を残さないようにするために戦国大名のなかでは一般的に行われていたことでした。

 

 

 

ですが、こういう行為を全くしなければ今の時代が築けていないこともまた事実なのです。

 

 

だから、今を生きる僕たちは、時代の中で無念にも散った人たちの上を歩いてるということを忘れないようにしようと思う今日この頃でございます。

 

 

 

 

新年になりましたし、ちょっとまじめなことを言ってみましたww

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!!

 

 

では!

 

 

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