イセキチだってつれづれ語りたい

無駄に多趣味で広く浅い知識しか持ち合わせないアラサー男が、気になったことを思いのままにつらつら語ります。たまにいいこと言いたがりなのはご愛嬌★

戦国時代の処世術

どもども!

 

 

突然ですが皆さんは今川氏真という人物はご存知でしょうか?

 

歴史の授業の定番中の定番、かの「桶狭間の戦い」で織田信長に討たれた

 

今川義元の息子です。

 

最近では「おんな城主 直虎」で尾上松也さんが演じて、

 

少しだけ有名になった人物でございます。

 

今日はその話・・・・

 

アーリーリタイア(早期リタイア)という生き方があります。定年を待たずに、早い人は20代で会社勤めを辞め、
第2の人生を選ぶ生活のことです。

歴史に目を移せば、戦国大名としては滅亡しましたが、文化人として生き延びた戦国武将がいます。
それが、桶狭間の戦いで敗れた今川義元の息子である今川氏真です。
義元の死後、氏真なりに領国経営に乗り出しますが、武田信玄徳川家康の挟み撃ちにあい、もはやこれまでという窮地に陥ります。
それでもさまざまなパイプを活かし、各地を転々として、ある時は、かつての部下である家康に頭を下げ、家臣になり、
またある時は父を殺した織田信長の前で蹴鞠(けまり)をあざやかに披露。政治の世界では成功しませんでしたが、
人脈と豊富なノウハウでセカンドライフを楽しみます。これまでの歴史的な考え方では、
「今川氏を滅亡させた愚かな君主」というのが一般的でしたが、
現在で言うアーリーリタイアの生き方を戦国の世で体現したまれな人物として再評価する声があがっています。
今回、戦国史が専門で、今川氏の研究に詳しい駒澤大学文学部の久保田昌希教授に、
氏真の人生を元に現在に生きる知恵について話をうかがいました。

〈義元の弔い合戦をせずに経営に乗りだす〉

今川氏真戦国大名としての評価は「愚かな君主」のイメージでしたが、
その後、今川氏を存続させるための処世術は再評価がなされています。

〈久保田昌希(以下、久保田)〉 今川氏真の人生は、本人自身が納得したかどうかは分りません。
ただ、戦国時代の周辺の勢力図には、織田信長武田信玄上杉謙信などがおり、
戦国大名として今川氏を存続することは無理だったと思います。
父・義元から見ると劣りますが、一方優れた処世術は持っていました。

――氏真の内政はいかがだったでしょう。

〈久保田〉 永禄元年(1558年)に氏真の文書がはじめて発給されます。
特に神社に対する流鏑馬銭等の徴収を安堵する内容で、これは当主の権限でした。
この頃から、駿河国遠江国(現静岡県)の経営が氏真に任されていきました。

――義元の死後、氏真の動向はあまりクローズアップされていません。

〈久保田〉 義元の死後、織田を打倒するため弔い合戦をするのではなく、領国の経営に乗り出します。
これは理由があり、桶狭間の戦いで戦死した武将も多く、その家ごとにショックを抱えていましたから、
まず安定を考えていたのでしょう。桶狭間の戦いが永禄3年(1560年)ですから、
その後、氏真名義での文書が当然多く発給されます。
大河ドラマの『おんな城主 直虎』でやりました「井伊谷政令」の話ですが、
あれは、井伊谷や井伊氏をつぶしたいがために徳政令を発令したのではないと考えています。
氏真は徳政令を出することで徳のある政治を行いたいという考え方を持っていたのではないでしょうか。
ただそうなると金貸しはたまったものではありませんので、徳政令に従った金貸しには、
損だけさせるのではなく特権商人としての地位を認めるなど、バランスの取れた政治も行なっていました。
ちなみに、徳政令は、個別に義元も出しています。
ほかには、富士大宮楽市も行い、信長より一歩先んじて、当時の楽市楽座政策に影響を与えたと思われます。
そういう意味でも悪政を強いたわけではありません。

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今川氏真上記でもあるように

 

旧来は「東海一の弓取り」と称される父義元と比べ、

 

今川を没落へ導いた”愚将”として語られてきました。

 

 

 

 

しかし名君や猛将として語られる武将の息子というのは

 

戦国時代だけを切り取っても、なかなか二代続けて才能に恵まれることは少なく、

 

武田信玄北条氏政大友宗麟、斉藤道三、三好長慶豊臣秀吉等々と

 

ざっとあげるだけでも、息子の代で没落した大名は数知れません。

 

その中で、「かたき討ち」という選択肢を選ばず、

 

家の存続や、果ては家臣や民の安寧を

 

重視できた氏真は客観的に見ても”立派な人物”だったのではないでしょうか?

 

 

 

確かに”戦争”が大きな基準だったあの時代の中での

 

氏真の立ち居振る舞は「恥知らず」「愚かな男」だったかもしれません。

 

目立った才能も実績もなかったかもしれません。

 

 

 

 

ですが生き恥を晒してでも、世を渡っていく”強い意志”を僕は感じます。

 

その意志は現代に生きる僕らにもきっと当てはまるのではないでしょうか?

 

今の日本は戦争も内戦にも縁はないですし、守るべき家柄を意識する時代でもありません。

 

ですがAIの台頭や、業務の機械化により、かつてない失業の波が

 

すぐそこまで迫っているといわれています。

 

そんな時代だからこそ、

 

個々人が明確な考えや意志を持ち、

 

氏真のように恥を忍んででも生き抜く力を身に着ける必要があります。

 

初めは難しくても、一歩ずつ進んでいきましょう。

 

 

 

 

余談ですが、蹴鞠の達人である

 

氏真の生まれ変わりはきっとキャ〇〇ン翼なんじゃないかと思ってます。

 

 

 

最後まで読んでいただいてありがとうございます!!

 

 

 

では!

 

 

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